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28 :1/6:2009/05/26(火) 12:13:34 ID:edaDH0e+0
ちょっと例え話、長いので気の向いた人だけどうぞ。 
 
ある地底世界では議論が行われていた。 
どこから広まったのか、どうやらこの世界の上には地上と呼ばれる広大な世界が広がってるらしい。 
新しい概念に議論は白熱、ああでもないこうでもないと新しい世界に想像をめぐらせた。 
 
その内、そこにいた何人かは静かに席を立つと、ある事をしはじめた。 
地上にむかい穴を掘り始めたのだ。 
「おいおい、正気かよ」それを見た多くの者は、呆れると同時に議論の席へと戻っていった。 
 
穴を掘りにいった者の一人、名前をアムとしよう。 
彼の穴掘りは何もかも順調とは言えないまでも、確実に地上にむかい進んでいた。 
やがて、もうどれ程の土と不安を相手にしてきたかもわからなくなってきた頃。 
「ガキンッ!」手ごたえが変わった、厚い岩盤な様な物にぶち当たったのだ。 
これは掘れるような物ではない、アムの心を今までにない絶望が襲った。 
大きく回り込めば道は開けるかもしれない、だが、可能性でしかない。 
引き返すなら今だ、アムは決断を迫られた。 
 
自分の中心に問いかける、一番強い思いは何か。 
「地上へ行きたい!」 
思いは明確だ、あとは引き返せない道へと足を踏み出す勇気だけ。 
体は振るえ、恐怖なのかストレスなのか、涙もでそうだ。 
だが、彼は静かに前を向くと、力強く足を前へと踏み出した。
 
29 :2/6:2009/05/26(火) 12:14:46 ID:edaDH0e+0
覚悟を決め、行動してしまえばどうという事はない。 
道があれば進むし、なければそこで終わるだけだ。 
彼の足取りは今までにない程軽い。 
岩盤に沿って進んでいくと、まるでそこにあるのが当たり前のように道はあった。 
吸い込まれるようにその道へ入ると、今まで触れたことのないような柔らかい土にあたった。 
「これは楽でいいや」鼻歌まじりに掘っていくと、やがて土を掘る手に感触がなくなった。 
「いくらなんでも柔らかすぎるだろう」そう思って見上げると、意外な光景を目にした。 
もう土がないのだ。 
 
地表から頭を出すと、広い空と暖かな太陽が出迎えてくれた。 
この時の彼の気持ちは言葉にはできない、ただ泣いていた。 
 
頭を出したまま呆然としていると、少し離れたところから何かの気配がした。 
そちらへ視線をむけると、同じように頭を出し涙を流してる者がいる。 
あの時、議論を離れ下で別れた仲間だ、彼も自らの道を一人歩き、到達したのだ。 
辿って来た道は共有できないが、この思いは共有できる。 
やがて、彼がこちらに気づき目が合うと、お互い静かにうなずきあった。 
 
いつまでも頭だけ出してるわけにはいかない。 
地上へと出ようとしたその時、誰かに呼び止められた。 
「待ってください」穏やかな声だ。 
振り向くと、いつの間にか誰かそばにいる、どうやら地上に住む者のようだ。 
驚きで何も言えずにいると、それを察する様に向こうから口を開いた。 
「あなたが来る事は知っていました、地上にでる前に聞いてほしい事があります」 
 
31 :3/6:2009/05/26(火) 12:15:29 ID:edaDH0e+0
嫌な感じはしないし、何より何もわからないので、おとなしく聞いてみる事にした。 
地上の者は言う「実はその地底の体では、地上で長く生きられないのです」 
ここまできたのに無駄骨だったのかと、絶望的な気分になる間もなく、地上の者は話を続けた。 
「ですが、望むのなら地上にあわせた体に変える事はできます、それは私たちに任せてください」 
アムの顔が喜びにそまる、それを見た地上の者は穏やかに話を続けた。 
「ただし、一度変えると、もう二度とその元の姿にはもどれません」 
「かまわない!」アムは即答する。 
そう答える事は予測がついていたのだろう、地上の者は穏やかに微笑んでいた。 
 
しばらく間のあった後、地上の者は少し言いづらそうに話を続けた。 
「体を変える前に、ひとつお願いがあるのです」 
「できる事なら何でもします!」まだ見ぬ世界に目を輝かせ、アムは元気に答えた。 
「地底にはまだ地上を望む人たちがいるはずです。まだ地底の体を持っていて 
 彼らとコンタクトが取れるうちに、彼らも呼んできてほしいのです」 
「確かにそうだ!」少なくとも、あの時議論してた人たちは来たがるかもしれない。 
ハッとする様にアムは納得すると、すぐに地底へと向かった。 
 
来たときの道がきれいに残っていたため、地底へは簡単に戻れた。 
地底へと戻ったアムは驚愕した。 
かつての議論の場が、まるでパーティ会場のようになってしまっていたのである。 
近づいて様子をうかがうと、おいしそうな料理を取り囲み、皆でわいわい話してる。 
どこからともなく、地上を称えるような歌が聞こえる。 
どうやら地上への思いが高じて、このようなパーティになってしまったらしい。 
 
(一体これはどういう事だろう・・・) 
自分がだらだらと掘ってる間に、みんなはとっくに地上についていたのだろうか。 
予想外の光景にどうしていいのかわからずにいると、どこからか歓声が上がった。 
何事だろうとアムが目を向けると、そこには一人の男を皆が取り囲むような光景があった。 
人々の隙間からかろうじて見えたのは、見覚えのない男。 
そばには一緒に運ばれてきたと思われる、たくさんの料理がある。 
彼は料理を皆に配りながら、声高々に話しはじめた。 
 
32 :4/6:2009/05/26(火) 12:16:29 ID:edaDH0e+0
聞いていると、どうも地上をよく知ってる者らしい。 
地上に関するあれこれを皆に話して聞かせてるようだ。 
聞いてる人たちは、これぞ人生の至福の時間とでもいうかのように聞き入ってる。 
たしかに話し方がうまく、アム自身もまた聞き入ってしまった。 
聞いていても、まだ地上に頭を出しただけのアムには、どこまでが真実かはわからない。 
ただ少なくとも、広い空や太陽の事はあたっていた。 
 
話は終わり、その男はどこかへ行った。 
ずっと話を聞いてたせいか、頭が少しぼーっとする。 
何も考えられずにただ座っていると、誰かに声をかけられた。 
「アムじゃないか! 戻ったのか」 
かつて一緒に議論していた者のひとりだ。 
「な、穴掘って地上にいくなんて無理だったろ、諦めてよかったよ」 
いきなり決め付けてかかられて、戸惑いながらもアムは答える。 
「え、いや、大変だったけど地上には行ったよ、あの人の言うように空と太陽があった」 
それを聞くと、その男は渋い顔をして答えた。 
「何言ってんだお前、それは今あの人の話から取っただけだろ。 
 んじゃお前、太陽の反対には何があるか知ってるか?」 
「そんなの知らないよ、そっちは見てないもの」予想外の反応に困るアム。 
「はっ、やっぱ嘘じゃねーか、反対には月ってのがあるんだよ!」 
その男は、まるで自分で見てきたかのように言った。 
 
「ところで、さっきの人は誰なの?」 
これ以上言っても無駄だと思ったのか、アムは話を変えた。 
「あの人はな、俺たちを地上に連れて行ってくれるんだよ」 
「えっ」想像もしなかった答えにアムは絶句した。 
「まあ、穴掘って行くなんてお前くらいだろうな、はは」 
そう言うと男はパーティに戻っていった。 
 
33 :5/6:2009/05/26(火) 12:17:22 ID:edaDH0e+0
もしかして自分は無駄な苦労をしただけだったのだろうか。 
少しがっかりしながら、そのあたりを聞きたくてさっきの男を捜しにいった。 
人のいない薄暗い通路の先にその男はいた、どうやら誰かと話しているようだ。 
なんとなく近づいてはいけない感じがして、アムは少し離れたところから様子を見ていた。 
どうもさっきまでとは雰囲気が違う、なんか嫌な感じだ、と思った瞬間、アムは見た。 
「ニヤリ」さっきまでのような人前では絶対に見せない笑顔をその男は見せた。 
 
この時、強烈な寒気と共にアムは直感した。 
何故、この男が皆に安くはないであろうたくさんの料理をふるい 
大きな声で自らの地上の知識を説き、連日パーティを盛り上げるのか。 
それどころか、皆を地上へ連れていくとまで言った理由が、わかってしまったのである。 
 
(楽しいパーティで皆を地底に縛り付けたいんだ!) 
アムはたまらず皆の下に走り出した。 
 
パーティ会場は相変わらず賑わってる、どう伝えるべきか悩んでると、いきなり肩を組まれた。 
「おーう、アム、地上行ってきたんだって?」 
さっきとは別の友人だ、酒も入ってかなりご機嫌な様子。 
「俺は信じてるぜ、どんなだったよ地上は」 
信じてると言われて嬉しくなったアムは、自分の見てきた光景を静かに語った。 
その話は広がり、皆の話題となっていった、もはや信じてるかどうかは関係ないようだ。 
なんだか嬉しくなってきたアムだったが、騒がしいパーティ会場を見てると、ふと我に返った。 
(これじゃ、パーティを盛り上げてるだけだ!) 
この時、改めてこのパーティの恐ろしさを知った。 
地上の事を話せば話す程パーティは盛り上がってしまう、結果、地底に留まってしまうのだ。 
地上に導くには、地上の事を話してはいけない、アムは困惑した。
 
34 :6/6:2009/05/26(火) 12:18:14 ID:edaDH0e+0
「皆、聞いてほしい!」 
のんきな雰囲気のパーティ会場に、性格に似合わないアムの大声が通る。 
アムが叫ぶなど珍しい、皆はひとまず耳を貸した。 
「あの人が言ってた事は嘘だったんだ、このまま待ってても地上になんていけない!」 
場の雰囲気がさっきまでとは違う騒がしさに変わる。 
「僕は行ったから知ってるんだ、地上に行くには一人ひとり地道に掘って行くしかないんだよ!」 
皆の視線が痛い、その場から逃げたくなるのを堪えて、アムは続けた。 
「とてもつらくて大変だったけど、勇気をだして進んでいけば確実にたどり着くんだ」 
かなり嫌な雰囲気になってきた、アムは最後の勇気を振り絞る。 
「だから、このパーティはここで終わりにして、そしてまた地上で続きをしようよ!」 
 
みんなの顔色からは何も読めない。 
「それじゃ、僕は先に行くよ、上で待ってるからね!」 
そう言って立ち去ると、しばらくして背後から歓声が上がった。 
あの男がまた、豪華な料理と新しい話題を持って現れたのだ。 
 
「また会おうね!」 
今までにない程の大声でアムは叫んだが、あの歓声のなか皆に届いたかどうか。 
 
アムは地上へ向かっていった。
 
276 :1/8:2009/06/03(水) 17:44:11 ID:3ypug1Ta0
>>34の続き、また長くてごめん、でもこれで最後なので。 
 
地上へ向かう途中、アムは自分でも気がつかない内に、体に違和感を感じ始めていた。 
その違和感は徐々に大きくなり、再び地上に頭を出す頃には 
自分の肉体に対する、正体不明の不快感であるとはっきり自覚できる程になっていた。 
 
地上に頭を出すと、先ほどの地上の者が地底の様子はどうだったかと聞いてきた。 
パーティのようになっている事や、得体の知れない男がしきっている事など 
アムが見たままを話すと、地上の者の顔は曇り、話し始めた。 
「その男はあなた達より深い所に住む者です。理由はよく知りませんが 
 地底に住む人達に地上に出ていってほしくなくて、そのような事をしているらしいのです」 
「やっぱりそうだったんだ。でも、らしいって事は、はっきりとはわかってないの?」 
「はい、私たちは地底へ行けず、彼らもある程度の深さ以上は 
 上がって来られないらしいので、彼らを直接知る事はできないのです。 
 そのため、その両方の間にいて、どちらともコンタクトの取れる 
 あなた達を通じてしか情報を得る事ができないわけです」 
地上の者はそう言うと、印象深い一言をつけくわえた。 
「鳥と深海魚は出会う事がないのです」 
 
アムは納得すると、他に気になる事を聞いてみた。 
「そういえば、何だか体が不快なんだけど、これは何でかわかる?」 
それを聞いた地上の者はハッとすると、少し悲痛な顔をして答えた。 
「ああ、やはりそうなってしまいましたか、それはあなたの意識が変わったせいです。 
 今のあなたの意識は、私たち地上の者のそれとほとんど同じになっています。 
 そのため、地上にあった肉体に変え、地上で暮らす事ができるのですが 
 反対にそのまま地底にあった肉体にいると、私たちが地底に行けないのと同じ理由で 
 もの凄い不快感を感じるようになってしまうのです」 
そう説明すると、まとめるように言い直した。 
「地上の意識に地底の体、それが原因です。 
 地上の体になったら、違和感のない、自然な本来の自分に戻ったと感じるはずです」 
 
277 :2/8:2009/06/03(水) 17:45:00 ID:3ypug1Ta0
「なるほど」アムは納得したと同時に 
前に地底の皆を呼んでくるよう頼まれた時の様子を思い出した。 
あの時、地上の者が言いづらそうに話を切り出したのは 
地底に残っていればこのようになるという事を知っていたからだったのだ。 
「つらいと思いますが、いつでもそこから抜け出せるので、心配はいりません」 
地上の者は何故か自分に言い聞かせるようにそう言った。 
「でも、そうすると、もう二度と戻れないんだよね?」 
答えを待たずアムは続ける。 
「それじゃあ、もう少しがんばってみる!」 
 
それを聞いた地上の者は感動したように言う。 
「ああ、これだから、私はあなたが好きなんです!」 
「えっ」興奮気味な地上の者の様子に、アムは少し驚いた。 
「私はあなたをずっと見てきた、いつからかはもう忘れたけれど 
 一目見たその時から、健気に、真摯に生きるあなたに惹かれ、ずっと見続けてきた。 
 実は、あなたが地上に来たのは、私の声なき声に呼ばれてなのです。 
 そうしてやっと地上に届いたというのに、そこでおあずけはあんまりです。 
 本当は私の、私の正直な気持ちのみを言うと、今この瞬間にでも 
 あなたを引き上げ、新しい世界を案内して回りたい気持ちなのです。 
 ですが、それはまだできない。何故なら、あなたがまだ地上へ出る事を望んでいないから」 
 
溜め込んでいた思いを爆発させるように言う地上の者に何も言えずにいたが 
ここまで聞いて、始めてアムは理解した。 
あの時、地底の皆を連れてくるように言ったのは、地上の者の思い以上に 
自分でも気がついていない、自分の思いを代弁しての事だったのだ。 
そして何より、自分はこんなにも愛されていたのかと 
今まで楽しくとも孤独に生きたアムは、初めて人の愛にふれ、涙を流した。 
 
278 :3/8:2009/06/03(水) 17:47:16 ID:3ypug1Ta0
「それじゃ、また行ってくるよ、何かいい方法が思いつくかもしれない」 
そう言うと、アムは再び地底へと戻っていった。 
戻りながらも、肉体への不快感は増していく一方で、地底へと着いた頃には 
誰が見ても明らかな程、アムの体はボロボロになっていた。 
(これが僕・・・?)鏡を見て愕然とする。 
かつての健やかな姿からは想像もつかない姿へと変わってしまっていた。 
(まあいいや、がんばろう、こんなの地上へ出るまでの辛抱だ。 
 それより、今しかできない事が何かあるはず、まだ何かできるはずだ) 
 
かつてのパーティ会場に行ってみると、意外な事に何もなくなっていた。 
終わったのだろうか、近くにいた者に話を聞いてみると、さらに意外な答えが待っていた。 
「パーティ? 全然終わってないよ。 
 もっと深い所に大きくて立派な会場用意したとかいって、みんなもそこに行ってしまったよ」 
「えええ!」アムは驚いて場所を聞くと、そこへ急いだ。 
(なんて事だ、地底へ縛るどころか、もっと深い所へ誘導されるなんて!) 
 
その場所へ向かう途中、前にアムの話を信じるといった男が声をかけてきた。 
「おお、アム、いいところに来た、やはりお前の言う通りだったよ。 
 あの野郎、新しい会場作ったとか言って、皆を地下へと連れて行きやがった。 
 お前の言ってた通り、地上から皆を引き離してやがる!」 
ちゃんと見てる人もいた、アムは嬉しくなったが、男が妙に怒ってるのが気になる。 
「あの野郎許さねえ! 俺はとことん戦うぞ!」 
「え・・・」それを聞いたアムは得体の知れない不安を感じた。 
「ここを拠点に戦う仲間を集める、アム、もちろんお前も仲間だよな?」 
拠点という言葉で不安の正体がわかった、それを打ち消さんとアムが言う。 
「戦っちゃだめだよ! ここで敵対すると結果的に地底に留まる事になる。 
 戦わなくても、あの男は放っておいて地上へ向かえばいいんだよ!」 
「何言ってやがる、みんなを見捨てるつもりか!」 
たしなめるアムの言葉も男の怒りの餌となり、アムに為す術はなくなった。 
この調子だと、あの男がより深い場所へ行っても、敵対するためについて行ってしまうだろう。 
これもきっと、あの男にとっては予定通りなのだ。 
アムは絶望的な気持ちになりながらその場を後にした。
 
279 :4/8:2009/06/03(水) 17:48:20 ID:3ypug1Ta0
目的地へ行こうとより深くへ進んで行くと、次第にその場から 
はじかれるような反発力を強く感じるようになっていった。 
おそらくもうすでに、より深くに住む者達の領域に入ったのだろう。 
地底の体では地上に行けないように、今までの体ではあまり深くへも行けないようだ。 
反発する磁石を無理やりくっつけるように歩を進めていくと 
しばらくして新しいパーティ会場へとたどり着いた。 
 
それは今までの会場とは比べ物にならない程素晴らしいものだった。 
(なるほど、これはパーティ好きが一度来たらなかなか離れられないだろうな) 
それを表すかのように、以前よりも人は多く活気にも満ちていた。 
そして不思議なのは、皆がアムのような反発力をこの場に感じていそうにない事だった。 
アムはとりあえず少し休もうと適当なところに座り、辺りの様子をうかがった。 
 
相変わらずたくさんの料理が出てるようだ。 
そして、それは無駄な事ではないと言わんばかりに、皆よく食べる。 
(見た事がない食べ物ばかりだ、より深い所の食べ物なのかな?) 
そんな事を考えながら、アムはその様子をぼーっと眺めていると、ふと気がついた。 
(そうか、食べ物だ! その場の食べ物を食べていく事によって 
 その場にふさわしい肉体が形成されていくんだ! 
 だからここにいても何も感じない、どころか、元気にすらなるんだ!) 
そこに気がついた瞬間、色々な事が繋がった。 
(おそらくここに会場を移したのも、皆の体がここに馴染むようになったと見通しての事だろう。 
 ただでさえこの素晴らしい会場、そしてその場にぴったり馴染む体で来たら 
 来た途端にその人は生き生きとし、まさか自分が道を間違えてるなどとは夢にも思わなくなる。 
 そしてまた、より深い所の食べ物を食べ、より深い所に適応した体ができたら、また会場を移す。 
 それを繰り返すうちに、気づけば地上どころか、今まで暮らしていた所へすら戻れなくなるのだろう) 
事実、アム自身この深さが限界で、これ以上深くに行かれるともう会う事すらできなくなるだろうと感じていた。 
 
(どうすればいいんだ・・・) 
アムは頭をかかえた。 
 
280 :5/8:2009/06/03(水) 17:49:37 ID:3ypug1Ta0
その難問に答えを出せずにいると、聞き覚えのある歓声が鳴り響いた、あの男の登場だ。 
言い出す言葉も見つからず、まだ帰るわけにもいかない。 
前にも後ろにも行けず、アムはおとなしく男の話を聞く他、なにもできなかった。 
聞いているとやはり話がうまい、聞くに値しないとわかっていても、気がつくと真剣に聞き入ってしまっていた。 
 
そんなアムを動かしたのは、その男の話のある部分だった。 
それはアムのように地上に無理に行った場合の話、男の話はこうだ。 
「地上に無理に行くと、地上の者が待ち構えています。 
 彼らは笑顔と優しい言葉を持ってあなたに近づくでしょう。 
 ですが、その裏ではとてもよくない事を企んでいるのです!」 
それを聞いたアムは何か大切なものを踏みにじられた気がして、反射的に叫んでいた。 
「嘘だ、あの人はそんな人じゃない!」その言葉に一片の迷いもなかったのは 
アムにとって地上の者は、自分の信じた道を歩いた結果として出会った存在だったからかもしれない。 
もしも、誰かに連れられた道で出会っていたのなら、これほど迷いなくは叫べなかっただろう。 
アムにとってあの地上の者を信じるという事は、自分を信じ歩いた道を信じるという事と重なっていたのだ。 
瞬時にその事に気がついたアムは、たった今自分が叫んだ事を皆に証明する術がない事にも気がついた。 
 
辺りは騒然としている、男はアムを見つけると穏やかに話し始めた。 
「君はアム君だね、噂は聞いてるよ。 
 君は嘘だと言うが、その地上の者が善き存在であるという根拠はあるのかね?」 
やはりそうきたか、アムは嫌になって答える。 
「そんなのないよ、そう感じたからとしか言えない」 
アムの答えなどどうでもいい、というように男は話し続けた。 
「もし本当に善き存在なら、今頃君は地上にいるんじゃないかね? 
 色々な理由をつけて君を地底に押し止めているとは思わないのかね?」 
隙を見たアムは反撃するように言い返してみた。 
「あなたのように、ですか?」 
痛い所を突いたつもりのアムにとって、ここで起こった反応は予想外なものだった。 
「ははは、それは面白い!」男は慌てる素振りなど微塵も見せず笑った。 
そして、それと同時に他の皆も笑い出した。 
 
281 :6/8:2009/06/03(水) 17:51:17 ID:3ypug1Ta0
アムはもうすでに反論する気力もなくし、うつむいていたが、男は話を続けた。 
「それに何より、君のその体、ボロボロではないか。 
 本当にそれで正しい道を歩いていると言えるのかね?」 
アムは少し顔を上げ男を見ると、もう嫌だというように頭を振り、またうつむいた。 
「それに比べ、見たまえ、ここにいる人達を!」 
男は遠慮なく話を続ける。 
「皆、生き生きとしているではないか、どちらが正しい道を歩いているかは明らかではないかね?」 
そう言って男が大きく両手を広げると共に、大きな歓声が上がった。 
 
(もうだめだ、何も言えない、何もできない・・・) 
周りの人達は、優しい思いも含め様々な思いでアムを見ていたが、ひとつだけ共通している思いがあった。 
それは「アムは道を間違った」である。 
そしてその思いを通し、自らの「自分は正しい道を歩いている」という思いを強めていった。 
自分が同じ立場でもそう思うだろう、アムは皆の気持ちが痛い程よくわかった。 
アムが何を言っても、何をしても、それどころかこの姿で視界に入るだけで、その思いを強めてしまうのだ。 
それを知ったアムにできる事は、もうひとつしか残されていなかった。 
 
(姿を消そう・・・) 
アムは決意した。 
 
アムは顔を上げると言った。 
「暗闇の中で手を離すような別れは嫌だった、だけど、僕はもう何も言えないよ。 
 結局それぞれが感じ、考え、歩いて行くしかないんだ」 
アムの真剣な気持ちとは裏腹に、周りの人達の多くは気の毒な気持ちでアムを見ていた。 
「僕はもういくよ、今度こそ本当のさよならだ。 
 またいつか、お互いにとっていい形で会おう!」 
ここで大きな歓声でもあれば多少は様になっただろう、だが実際は釈然としない間があっただけだった。 
 
アムは静かに席を立つと、その場を離れた。 
 
282 :7/8:2009/06/03(水) 17:53:05 ID:3ypug1Ta0
「アムさーん」地上へ戻ろうと歩いていると、後ろから誰かが走ってきた。 
あの場にいた者だろうか、息を切らせながら話し始めた。 
「なんだか、何だか自分でもよくわからないんだけど 
 さっきのアムさんの姿に心打たれたんです! 私も連れて行ってくれませんか?」 
結局何も言えなかったのに、少しは何かが伝わったのだろうか。 
アムは嬉しくなったが、浮かれず冷静に答えた。 
「他人の帰路について行っても、辿り着くのは他人の家でしかないよ。 
 外の何かに従うのではなく、自分の内にある思いを辿って、自分の道を歩かなきゃ」 
表情からはどれ程伝わったのかはわからないが、返ってきたのは元気な声だった。 
「わかりました、やってみます!」 
最後の最後でいいハプニング、もうこれだけで十分だ。 
(地上でまた会えたらいいな) 
そう思いながらアムは地上へ向かった。 
 
ボロボロの体を引きずるようにして地上まで行くと、地上の者は笑顔で迎えてくれた。 
そして何も言わず優しくアムの手を取ると、そのまま地上へと引き上げた。 
「目を閉じて」地上の者が言う。 
アムが目を閉じると、地上の者は何かをしているようだった。 
地上の者は善くない者だという、さっきの男の話を思い出したが 
アムに不安は微塵もなく、全身で受ける風が心地好いだけだった。 
「はい、おわり」地上の者のその言葉と同時に、アムの体が軽くなった。 
今までの不快感が嘘のように消えている。 
それどころか、全身にエネルギーが満ちていくようだ。 
アムが自分を見ると、ボロボロの体はどこへ行ったのか 
今までとは全く違う姿へと変わっていた。 
 
283 :8/8:2009/06/03(水) 17:54:20 ID:3ypug1Ta0
「ははは!」アムは嬉しくなってはしゃぎ回った。 
地上の者が一体どんな魔法を使ったのか、それはアムにはわからなかったが 
ひとつだけはっきりとわかった事があった。 
そして、アムはそれを思いきり叫んだ。 
 
「これが僕だ!」 
すべての存在に対して、アムはそう宣言した。 
 
それまで地上の者はその様子を満面の笑みで眺めていたが 
その瞬間、ふとその笑顔が止まった。 
気づけば、はしゃいでいたアムの動きも止まっている。 
二人は同時に、ある事に気がついたのだ。 
 
アムが振り返り、地上の者が口を開く。 
「私も今まで忘れていたみたい・・・」 
つぶやくように言うと、アムの目を見て続けた。 
「わたしたちは・・・!」 
アムの目が輝いた。 
「僕たちは・・・!」 
 
二人が手を伸ばすと、その中間で繋がった。 
地上の者が道の先を見る。 
そこにあるのは今まで見慣れた景色だったが、これまでとは意味が違っていた。 
ここからは、地上の者にとっても新しい世界なのだ。 
 
二人はうなずきあうと、ひとつの足で新しい世界へと歩きだした。
 
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